たかが野球、されど野球

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 「私の野球経歴」1 小学生時代


2018/09/14更新

恥ずかしながら私の野球経歴をご紹介いたします(プチ自慢が入ることもあります m(_._)m)

 

〇小学生になって、近所の子供らで遊びでやった「やきゅう」が原点。当時はスポ少チームがなかった。

・グラウンドは、小学校の校庭。南側が2~3mの石垣だったのでそれをホームランのフェンスに見立てて、かなり鋭角なフェアゾーンの三角ベース。石垣フェンスまでの距離は20m位だったでしょうか?

・道具は、まず木のバット(父の手作り、何と!「桐」で作った高価な軽いすりこぎのようなもので、グリップエンドが無いので、しっかり握らなければバットがすっぽ抜けてしまうという代物)と軟式テニスボール(柔らかいので、本当に真ん中を打たないと飛ばない!)もちろんグラブなんて無い!(いらない)

・1チーム二人でやる時は1塁だけで、ワンアウトで交代。チーム一人ずつ(チーム戦じゃない!)でやったこともあります。どうやるかというと、キャッチャーの代わりに自転車を置いて、相手は一人でピッチャー。守る人がいないので、ホームラン競争です。ホームランにならなければ攻守交替。「いい球投げろ」とちょっとけんかになることも。もちろんフォアボールはなく、石垣フェンスを超えたらホームラン。打てそうな球を打つ。1球で攻守交替なんてのはざら。

今考えると、柔らかい軟式テニスボールでやったのが良かったのかも知れません。真ん中を打たないと飛ばないし、両手でなければキャッチできないし、技術的には役に立ったのかもしれません。(恐るべし!)

 

5年生になって、初めて市内の学校対抗戦があり(テニスボールじゃあないですよ!)、1か月前から練習しました。9人中2人以上は必ず5年生が出るルールで、私はその二人のうちの一人で外野手(センター)。もう一人の5年生はO君で内野手、彼には中学までずっと野球も勉強も敵わなかった! その5年生二人がなんと!1・2番を打っていたのです。私が1番で右打ちが得意(というより、右にしか打てなかった)で、必ず毎試合(決勝戦以外)先頭打者でライト前ヒット。決勝戦のピッチャーは何とカーブを投げてきた!今では禁止されていますが?

 

まあ、そんな感じで小学校時代は遊びの延長みたいなものでしたが、夢はもちろん「プロ野球選手」。当時(昭和40年代)はON(王、長嶋)時代で毎晩父や祖父とテレビにかじりついてナイターを観ていました。まさに「巨人、大鵬、卵焼き」世代です。

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